八ヶ岳火山
韮崎岩屑流(がんせつりゅう)は盆地を越えた
…甲府盆地を覆い尽くした巨大岩屑流を追って
 甲府から国道20号線を北上して諏訪方面に向かうと,韮崎から県境の白州町付近まで,釜無川の左岸に沿って高さ40〜150m余りにも達する切り立った崖が延々と続いている。この崖はおよそ七里(約28q)にも及んでいるので,古くから七里岩と呼ばれて,峡北地域を特徴づける代表的な地質的景観になっている。しかし,甲府盆地周辺の地質を詳しく調べてみると,この七里岩を形成している「韮崎岩屑流」(古くは韮崎泥流と言った)は,七里岩の末端にあたる韮崎から直線距離にして20q余りも離れた甲府盆地の反対側あたる曽根(そね)丘陵にも分布していることが知られている。
七里岩を形成している「韮崎岩屑流」
   穴山橋からさらに上流に続いている
   遠景は八ヶ岳
   七里岩の上には、大きな工場も立地している
  (韮崎市藤井)
 盆地の内部は河川の浸食などによって失われてしまったものの,かつて,「韮崎岩屑流」は甲府盆地の全域を覆い尽くしていたことが分かる。七里岩を形成している「韮崎岩屑流」とは,どのようなものなのだろうか。また,どのような活動によって生み出されたのだろうか。「韮崎岩屑流」の謎に迫ってみた。
衛星写真で甲府盆地を見ると,逆三角形をした甲府盆地の北西部に長く舌のように延びている七里岩の様子がよく分かる。七里岩は,西側が釜無川によって削られて高い崖になっているばかりでなく,東側も塩川によって削られた高い崖になっているため,中央線の日野春駅辺りから南では幅2q余りの台地状になって,韮崎駅付近まで連なり,このような景観を作っている。
   中道町役場前の露頭に見られる
  「韮崎泥流] (中道町下曽根)
  宇宙から見た八ヶ岳、七里岩と甲府盆地、
  曽根丘陵 (ランドサット1973.2.25)
 この台地上には,穴山駅の近くにある能見山(のうけんやま)をはじめとして100余りの小高い丘(流れ山)があり,武田勝頼が織田信長の甲斐侵攻に備えて急ぎ築城した「新府城」もこのような流れ山を利用して造られていた。
 七里岩台地は日野春より北では,西の釜無川側には高い崖が続いているものの,東側には台地を穿つ程の大きな河川がなく,逆三角形状に広がって広大な八ヶ岳の山麓を形成している。
 七里岩を形成しているのは「韮崎岩屑流」と呼ばれる岩石で,近づいて観察すると,大小さまざまな大きさの角張った礫が砂や泥で固められてできていることが分かる。岩石を叩いてみると,砂や泥の部分は予想外に柔らかく,この岩石が比較的最近出来たことが伺える。更に詳しく「韮崎岩屑流」の内部を調べてみると,流れ山と呼ばれている小山の内部には,かつて火山の山体を形成していたと考えられる溶岩や凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん:火山灰が火山礫を固めて出来た岩石)などから出来ている巨大な岩塊がブロック状に含まれていることも分かる。これらのことから,七里岩を形成している「韮崎岩屑流」は,八ヶ岳の山体が噴火やそれに伴う地震により大規模に崩壊して,多量の岩,砂,泥が余り水を含まずに山腹の巨木をなぎ倒し,高速で一気に流れ落ちて作られたと考えられている。

 釜無川に面して続く七里岩の断崖
  大小の洞穴が目立っている

 大小の礫を泥が固めている様子が
  よく分かる
  いずれも、穴山橋付近の「七里岩
」で
 この岩屑流は今から20万〜25万年前に火山活動の最盛期を迎えて,現在の八ヶ岳連峰の最高峰赤岳の西にある阿弥陀岳付近を中心に数度の噴火を繰り返し,3,400m程の高さに達していた成層火山(富士山のような外観の火山)の古阿弥陀(こあみだ)岳が,アメリカのセントヘレンズ火山や磐梯山のように大規模な山体崩壊を起こして発生している。この岩屑流は,甲府盆地を覆い尽くして広がり,御坂山地の麓に広がる曽根丘陵にぶつかって止まるまで50q以上の距離を流れ下った。今からおよそ20万年前に発生したこの岩屑流の厚さは最大で200mにも達し,全体積は10万q3 と,日本で発生した岩屑流の中では最大規模のもので,この岩屑流によって200mもある巨大な岩石の塊が運ばれ,流れ山が形成された。この大崩壊により,古阿弥陀岳の山頂は吹き飛ばされて標高は一気に1,500m程も低くなり,後には巨大な馬蹄形をしたカルデラが形成されたと考えられている。
甲府盆地は八ヶ岳を起源とする「韮崎岩屑流」以外にも,茅ヶ岳や黒富士火山に起源を持つ「火砕流」や「泥流」によって何度となく覆い尽くされた。今は,何事もなく静かなたたずまいを見せているこれらの山々も,かつて鋭いきばを剥き出して猛威をふるった時があったのを忘れないで欲しい。
韮崎岩屑流」を作り出した古阿弥陀岳の推定図
(白州町より)
シャガ  射干    Iris Japonica Thunb 〔あやめ科〕
 5月上旬,身延の田舎にある先祖の墓参りに出かけた。山の中腹にある墓地へと続く杉林の中をたどる山道の斜面の少し湿った場所に,直径5p程の白っぽい花をつけたこの草が群生しているのを見つけた。
 シャガは日陰でも育つので,良く庭に植えられている。古く,中国から伝わったものが野生化したと言われているが,遺伝子が倍数体のため実は出来ず,長いストロン(匍匐枝)を延ばして繁殖する。
 この花に,シャガという名前がついたのには複雑な事情がある。この花は,葉の形が檜(ひのき)の薄い板を糸で扇形に綴じて作った檜扇(ひおうぎ)に形が似ているので,ひおうぎの中国名の漢字「射干」が名前として使われた。もともとこの漢字は,「ヤカン」という発音だったが,やがて「シャカン」と発音されるようになり,最終的に「シャガ」と呼ばれるようになった。

 身延町帯金(おびかね)にて

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